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特集

21.12.17 

WAKARIMASEN Interview with Terry Riley × Sara Miyamoto × Ukawa Naohiro

DOMMUNE Presents「LANDSCAPE MUZAK」

宇川直宏(以下「宇川」):「さどの島銀河芸術祭」でのDOMMUNEによる最新プロジェクト「LANDSCAPE MUZAK」は、世界中の音楽家の方々に佐渡島を視察していただき、心に響いた集落にサウンドトラックを与えていただき、現地でのライヴ収録をしてその後ストリーミング、さらにその世界観を彫刻化し、佐渡島の各地に音響モニュメントをインストールしていくという途方もないプロジェクトなのですが、その第一弾としてテリーさんに参加をお願いしたわけですけど、それをきっかけにテリーさんはもう一年半以上も日本にいらっしゃるんですよね。

テリー・ライリー(以下「テリー」):2020年の2月に視察に訪れて以来なので、もう21ヶ月になります。

宇川:本当にありがとうございます。そして僕がお誘いしたことによって、コロナ禍で帰国することができなくなってすみません。この経緯については後ほど深く語り合いましょう。まず、このプロジェクトのコンセプトを僕が考え出したのが2年前です。その段階で「LANDSCAPE MUZAK」の第一弾は、テリーさんをお誘いすることが、ふさわしいと思い始めて、お弟子さんである宮本沙羅さんにはその当初からずっとお付き合い頂いているので、沙羅さんとももう2年以上やりとりを続けていることになりますね。

宮本沙羅(以下「沙羅」):こちらこそ、素晴らしい機会を頂き、ありがとうございます。

宇川:そんな長期にわたるプロジェクトが今回のフラクタルキャンプでのライヴパフォーマンス、そして音響モニュメントの除幕式でようやく着地するわけですけど、改めてプロジェクトについて振り返ってみようと思います。テリーさんは本来、2020年の2月に佐渡の視察の後ニューヨークから始まるツアーに出る予定だったんですよね?

テリー:そうですね、アメリカのあとはヨーロッパを周る予定でした。

宇川:当時どんな時期だったかと言うと、ダイヤモンドプリンセス号で船内感染が広がり、Covid-19のクラスターが発生して、世界中から日本の感染対策の緩さが叩かれていた時期だったんですよね。当時はそんな日本の状況を横目に、このタイミングでテリーさんを視察に招聘すること自体、果たして正しいことなのか、当時みんなで深く考えていました。テリーさんとも何度もメールでやり取りさせていただいた中、「もしウイルスに感染してもそれは私のカルマなので心配いらない」というお言葉を頂き、その上でご決断頂いて、テリーさんは来日されたわけです。私たちはこの言葉に強く心を動かされました。

テリー:よく覚えています。

宇川:息子のギャンさんはこの時期に日本に渡航するのは危険なんじゃないのかと、当たり前ですけどとても心配されていましたよね。

テリー:一緒にツアーをしていたので、日本から戻ってこれなくなるんじゃないかと心配していましたね。その後アメリカやヨーロッパで感染が急激に拡大して、結局ツアー自体がすべて中止になってしまったのですが。

宇川:テリーさんが佐渡に行く決断をされていなかったら、「LANDSCAPE MUZAK」というプロジェクトの形自体大きく変わったはずです。ずっと遠隔でやりとりし、テリーさんが実際に日本に訪れることは不可能な中で進めていたかもしれないですね。テリーさんは当時84歳だったわけですけど、その後二度もここ日本で誕生日を迎えらえているわけで、その間に僕たちは、視察の映像をロードムービーにまとめ、その後野外でのライブを収録をしたり、音響モニュメントを一緒に制作したりと、プロジェクトは着々と進行していった訳です。その中で、85歳を超えてこんなに大きく人生が転換するようなタイミングを迎えるなんて考えてもいなかったと仰っていたのが、とても強く印象に残っています。

テリー:今もこうして日本に住んでいること自体、本当に奇跡的な体験をしていると感じています。

宇川:本当にそうですよね。沙羅さんのサポートも大きかったのではないかと思います。

テリー:彼女のサポートなしに日本の社会に馴染み普通に生活する事はできなかったので、とても感謝しています。

宇川:テリーさんと沙羅さんの師弟関係についても少しお伺いしてもよいですか? 沙羅さんはアメリカに滞在してテリーさんからボーカルレッスンを受け、発声法から歌唱法までたくさんのことを伝授して頂いていたと思うんですけど、今回のプロジェクトをきっかけに日本を舞台にした師弟関係が始まりましたよね。それによって沙羅さん自身のパフォーマンススキルとかアーティスト・アイデンティティなど、どういう変化がありましたか?

沙羅:もともとテリーさんからインドの古典音楽のラーガの歌唱法を習っているんですけど、テリーさんがアメリカで私が日本に暮らしている時は、ビデオ通話を使ってレッスンを受けていました。テリーさんのお住まいが山の中で、インターネットの環境があまり良くなくて、お互いにやりづらさを感じていた時で、もうこのスタイルではレッスンはできないと言われ、途方にくれていたんですよ。またまとめてアメリカに行ってレッスンを受けて戻ってというのを繰り返す人生になるのかなと思っていたところだったんです。

宇川:それが我々のこのプロジェクトとパンデミックによって大きく変わったんですね。

沙羅:そうなんです。コロナの間、テリーさんの安全をどう確保するかを考えて、まずは私の地元の山梨県北杜市にある、両親が祖母のために持っていた家に住んで頂いて、芸術祭の実行委員の方にもすごくお世話になりながら長期滞在のビザを取ったり、去年はもうずっと奔走していました。 その上で、テリーさんの生活のサポートをしながら、日常の中にどのように音楽が存在するのかを目の当たりにしながら、今度は自分の日常の中に照らし合わせていったんです。歌だけでなく、音楽とは人生の中でどういう風に向き合っていくものなのかを見せて頂いてる感じです。


西海岸、ゴールドラッシュ、遺跡、海岸線、気候

宇川:「LANDSCAPE MUZAK」は、沙羅さんの人生も変えてしまうプロジェクトになってしまいましたが、複雑なレイヤーを持つこのプロジェクトは、テリーさんはどのように感じられていますか?

テリー:私にとっても、大きな挑戦になりました。もちろん、ホワイトキューブのギャラリーなどでその場所の雰囲気にあわせて音楽を作ったり、ということは経験したことがありましたが、この規模感でのチャレンジングなコンセプトに向き合うのは初めてだったので。クリエイションだったりデザインについてより、宇川さんが話していた「1000年残るものをお互い考え合いましょう」という呼びかけに対して、自分なりにかなり深く考えました。

我々が普段使っているモダンテクノロジーは、1000年後にはもう使われていないかもしれない。だからテクノロジーは使わずに創作をしようと決め、今回のライブ用に作曲した「WAKARIMASEN」という曲でも使っているんですけど、チャイムを使うことにしました。ダグ・エイケンさんというアーティストの作品に365個のウィンドチャイムを用いたインスタレーションがあるのですが、そこからインスピレーションを受けた部分もあります。

宇川:最終的にインストールする作品がサウンドモニュメントであるというプロジェクトなので、音の放ちかたはもう100通りあると思うんですよ。その中でコンセプトを話し合う上で形になっていったのがチャイムで、これは確実に1000年後も、叩くだけでテリーさんが佐渡に与えてくださったメロディが奏でられる。

いわゆるメディアアート、平たくいえばテクノロジーは日進月歩で進化を続けているので、例えばホログラフィックなテリーさんが現れ演奏をすることもできました。でもそのテクノロジーが1000年間同じようなフォーマットやデバイスで生き残るかと言ったら、絶対にありえないと思っていて、そこをテリーさんに見極めて頂きました。

最もシンプルな奏でる方法。つまり、打つ、撫でる、鳴く、叩くというような人間の根源的なアクションと音、そして音響が結びついた形で、今回の作品は、テリーさんが佐渡を視察した時の体感が共有できるような構造になっているんじゃないかと思うんです。インストール場所として選ばれたのが北沢浮遊選鉱場跡なのですが、そこを選ばれた理由について改めてお伺いできますか?

テリー:あの空間を見た時、メキシコにある遺跡のことを思い出しました。金山とか選鉱場ではなく古代遺跡に見えるなというのが最初の印象で、個人的に古代遺跡でかつてそこに暮らした方々がどう生きて、どんなものを大切にしてきたかを感じることが好きで、すごくあの場所に惹かれましたね。

去年、そこで演奏もさせて頂いてサウンドモニュメントもこの場所が見渡せる場所にインストールしたいと思いました。最初は、高台の上のお寺の鐘の側に置く予定で、宇川さん達とその場所も視察しました。しかしその場所は、地盤的な問題があるとの報告を受け、反対側の丘に置くことになりましたよね。しかし、そのことで、逆に海にも近くなって、山も選鉱場も見渡せて、背景としも素晴らしい場所だと思っています。

宇川:佐渡とテリーさんがお住まいになっていたアメリカ西海岸との共通点を見出されたという話もされていましたけど、僕も90年代のジェントリフィケーション以前の、良きサンフランシスコに3年住んでました、たしかに、50年代は金脈に殺到した採掘者が沢山いたとと聞きます。他にはどういったところに共通点を見出されたましたか? テリー:まずは、海岸線ですね。特に私が住んでいる北カリフォルニアの海岸線と佐渡が似ていて。サンフランシスコより北側なのですが、気候的にも佐渡がたまに見せる天候とすごく似ているところがあります。あと仰る通りカリフォルニアでもシエラやネバダの近くでは1850年代はゴールドラッシュの時代があったり。地形的、気候的なリンクを感じつつ、そういう、かつての名残を感じるような選鉱場で演奏した時に、豊かなコネクションを感じました。


世界は音でできている

宇川:なるほど、確かにそうですね。そう言えば去年の2月に佐渡を最初に視察して頂いた時、テリ=さんと僕は、和尚さんと一休さんみたいな関係でこの島全域を周ったわけですけど、その中で鼓童のベースにもお邪魔しましたよね。佐渡のキャッチフレーズが「響く島、佐渡」なんですけど、その「響く」の意味が、大変ディープで、心に響く、さらには体に響く、人間に響く、世界に響く島っていう、すごく広い奥行きを持つスローガンになっています。広義に捉えれば、人々が共感し、想像して未知の感性を作り出すという意味での「響く」っていう概念だと感じて、まさに今回、国境を越えこのプロジェクト自体がテリーさんと佐渡の土着的な結びつきも含め、共感を呼び、さらには未知の感性を生み出している、そんなコンセプトに沿ったプロジェクトになったと自負しています。

鼓童は太鼓コレクティブで、しかも伝統的な音楽のネットワークでもありますよね。インドだけでなく、世界中のパーカッシブな表現領域を体験されているテリーさんは鼓童に対してどういうイメージを持っていますか?

テリー:以前ライブを拝見したり、一緒に演奏したこともあるのですが、鼓童の音楽は本当に身体的なものだと思うので、そういう意味では私がインドで見てきたものとは全く違ったものだと感じます。彼らの音楽に触れる機会も多かった中で、その世界観には独自のスピリットがあり、独自のコミュニティを築いている。多くのメンバーが共同生活をしているのもユニークで、だからこそ独自の世界観を持っているのかもしれませんね。

宇川:なるほど。テリーさんの師匠はあのパンディット・ブランナートさんで、タブラでセッションされていたと聞いたりもしています。沙羅さんもボーカリゼーションだけではなくて、僕らが企画した前回のライヴでは、パフォーマンスに太鼓を用いたりもしてましたよね。パーカッションという楽器は大変土着的で、その土地の民族性だとかエキゾティズムを背負っているといつも思うのですが、太鼓を改めてテリーさんから学んだことで自ら身につけた表現領域はどんなところですか?

沙羅 :最初にフレームドラムを叩いたのは、アメリカでテリーさんの所にまだ通ってた頃、ご自宅にフレームドラムがあったんですよ。テリーさんがその音色が好きで、「これを叩いてみて」って言われて叩いてみたんです。フレームドラムの経験ゼロの状態でやったんですけど、私もその音が好きだったのと、私の感覚では踊っているのと同じことだと感じています。

宇川:なるほど。身体アクションの一部として取り入れていると。

沙羅:そうなんです。音に対して反応するという動きで、そうすると音が鳴るから同じことなんですよね。テリーさんから教えてもらったことを、私も最近よく咀嚼してみたのですが、テリーさんも師匠のパンディット・ブランナート先生から教わったことで、インドにある哲学で「世界は音でできている」という考え方があるのです。だからチャンティングして、全部震えているから音でコネクトしていく。つまり世界と共鳴していく。自分の心も音なんですよね、心も振動なので。その振動を音波に変えていくっていう意味では、歌だろうが踊りだろうが太鼓だろうが、全部同じプロセスだと、私は考えてます。

宇川:いや、素晴らしいですね。超深いコンセプト。「Heart Beat 120 bpm」って言いますものね。それをいかに音楽に変えていくか。前回の僕とテリーさんとの対談では、太鼓の音っていうのはファーストチャクラを開かせるためのサウンドだとテリーさんに教わりました。創造性の起源であるということを前提に、チャクラとパーカッションの関係を、テリーさんの哲学でもう一度教えていただきたいと思います。 テリー:インドのヨギーから教えてもらったのですが、ファーストチャクラは太鼓が地球とコネクトしてくれるというアイデアです。インストゥルメンタルの音楽を聞くことは、そのチャクラの段階をどんどん上げていくことなので、地球、そしてヘブンへと自分を繋げ近づけてくれるようなものだと思っています。ヨギーにそのことを学んだ時、すごく自分の中に腑に落ちたのですが、自分が音楽を聴いたり太鼓の音を聞いたりした時に感じる感覚は、正にそういうことなのかなと思っています。


究極のインプロヴィゼーション

宇川:ちょうど1年程前に、北沢浮遊選鉱場跡でテリーさんに演奏して頂いた時、ライヴとともに日の出を皆で体験していくっていう時間帯に沙羅さんは太鼓を持って演奏されていましたよね。

沙羅:はい。

宇川:そう言われると、あのパフォーマンスはまずファーストチャクラを開いて、そこから聴いている人それぞれがコミュニケーションしながら次なるチャクラを開発して行く儀式のようにも体感できましたね。

沙羅:そうですね。裏話なんですけど、オープニングのこのタイミングで太鼓を叩いて欲しいって、会場へ行く車の中で突然テリーさんに言われたんです。

宇川:それは知らなかった、高次元のインプロだなぁー(笑)。ボーカルと現代舞踏的なダンス、そしてそこに太鼓という音を放つ道具が一つあることによって、その身体の動きを振動に変換し、観客と一緒に共鳴できる要素が増えたと感じています。そこからじわじわと日が昇っていっき、朝焼けを皆で体験しましたよね。大変ドラマティックな早朝五時からのチャクラの儀となりました(笑)。テリーさん、この時のライブの印象はどういう感じでしたか?

テリー:私にとってもすごく貴重な体験でしたね。

宇川:それは、とても嬉しいです。

テリー:早朝に演奏すること自体滅多に体験できることではないですし、他の時間帯とは全然体感が違う。オーディエンスと早朝の時間帯を一緒に過ごすことも、すごく新鮮に感じました。とてもスピリチュアルな空気感が漂っていましたね。特別な環境下にある瞬間を大切にしたいので、あの日の演奏は、直前に決めることが多くなりましたね。さっき彼女が言っていたようなことも、その時の直感を大切にし、あまり事前にプランを立てたくなかったから導かれたことです。朝日を迎える光だったり、鳥が飛び立つ様子や鳴き声だったり、地球が起き上がるのを感じながら、その場で色々と決めていきました。

宇川:全ての音がZAKさんのミックスによって収録されています。虫の声も、鳥の声も。今仰っていたように、テリーさんはもともと即興的なパフォーマンスをメインに行ってきたアーティストだと僕は思っていますが、まさにこの日は環境との向き合い方もインプロビゼーションでしたね。僕にはそれが大変崇高に感じました。そしてこの日のライヴをオーディエンスが体験する為の条件は、with PCR検査でしたね。その後は、このシステムを取り入れるフェスも多くなりましたが、僕らの試みが日本(もしくは世界)初だったと思っています。当時はフェスなんてまだ再開されてなかったし、”with/afterコロナ”というマジックワードを、みんな模索していた時代でしたよね。更には、コロナ禍以降に演奏した日本で初めての海外のアーティストのライブだったと思いますよ。これは、僕がお誘いし、テリーさんが移住を決断して下さったから実現したわけで、広い意味で捉えれば、もう何もかもがインプロビゼーションなわけですよね。僕たちの思考と決断、そして創作は全て同時に行われていた。テリーさんがここにいらっしゃるのも集まった人たちも、偶然コロナにかかっていなかったということですよね。

沙羅:本当にそうですよね。

宇川:その日の朝の時間帯の天気も、さらにはテリーさんから指示を頂いた沙羅さんのパフォーマンスだって、僕が流木でデザインしたステージも、撮影手法も何もかもその日決まったことでしたね。そのような大変強い因果律によって導かれたすべての出来事が究極のインプロヴィゼーションによって成り立っていたと思うんですけど、明日行うライブは真逆ですよね、沙羅さん、テリーさん。


チャートから、音楽ができあがる瞬間

沙羅:そうなんです。今回のテリーさんに対するご依頼が、佐渡から受けたインスピレーションで曲を作ってほしいというお題も含まれていて、それを佐渡で演奏するというご依頼だったので、当初はやっぱりテリーさんが作り上げた曲を、他のミュージシャンが演奏するのをコンポーザーとして見届けるっていう構成になるかなと思っていたんです。なのでテリーさんにとってもチャレンジだったんじゃないかなと、私は側で見ながら思ってたんですけど。それは本人に聞いた方がいいかもしれないですね。

宇川:はい、その前に少し補足をすると、テリーさんは、パフォーマーであり、コンポーザーなので、オーケストラに曲を書いて、それを演奏してもらうための記譜したスコアが作品だったわけですよね。しかし、今回は、昨年のライヴも今年のライヴも自分のスコアをテリーさん自らが演奏されるってことですよね。

沙羅 :はい。ご自身が作った曲を録音してアルバムにして発表した作品はたくさんありますけど、今回は作る過程もかなり即興の手法がたくさん入っている構成だと感じているので、とても珍しい作業工程でしたね。

宇川:では、改めてテリーさんに質問なんですけど、前回のライヴは究極のインプロヴィゼーションだったと感じています。世界の状況、そして演奏環境、ライヴの参加条件含め、そう感じました。そこから今回はまるっきり真逆で、作曲し記譜した譜面をもとに、選りすぐりのミュージシャンがテリーさんが作り上げた音楽を構築していく。その中で即興の要素もあると思うんですけど、前回とは極端に演奏スタイルが変わったと思います。結果、この対局のような二つのライヴが、佐渡での演奏として体感できる構造になったことに対してテリーさんはどう思われていますか?

テリー:今回は日本のミュージシャンと一緒にやるということで、宇川さんが推薦してくれるまで、誰と共演するのか想定できなかった中で、作曲に取り組むという意味では、大きな挑戦だったと思います。そういう意味では、ジャズのチャートのような要素でスコアを書いて、すごく大まかなものを用意して、最終的にはみなさんお互いの音を聴き合いながら、シンプルなスコアだったものを膨らましていくような感じで進めました。実際、昨日もリハーサルの時にミュージシャンたちが聴き合って、そこで初めて音楽ができ上がってくる感覚があり、自分としてもとても新鮮な体験でした。

宇川:どんなミュージシャンが必要か、この楽器を演奏するには誰がふさわしいのか僕とテリーさんの間で何度もやりとりをさせていただきましたよね。そんな中で最終的には、バッファロードーターの大野由美子さん、フライングリズムスの久下恵生さん、Salyu x SalyuのSalyuちゃんとコーラスの山口裕子さんと加藤哉子さん、そしてもちろん、沙羅さん、そこにテリーさん自らが参加するというメンバーで今回演奏しますよね。そのメンバー構成で、テリーさんが各楽器のパートを考え、山梨にミュージシャンが訪れ、少しづつ練習を重ね、ようやく形になってきたという感じですが、コロナ禍でのライブということもあり、人と人がソーシャルディスタンスを保たないといけない状況で、密にコミュニケーションできない中での演奏活動になりますしたね、今回は。

沙羅 :そうですね。テリーさんはある程度それも想定した上でのスコアの作り方をされていたようです。テリーさんの住まいにミュージシャンの方が来てくださったときも、このスコアをどのように見たらいいのかという確認が多くて、さらにzoomでもそういうやり取りを重ねました。同じ空間で音を出し合いながら、どういう風なニュアンスで演奏するのかという確認を大野さんと1回、Salyuさんと2回。久下さんは都合がつかなくて、昨日会場で初めてセッションしました。

宇川:久下さん、当初は緊張されていたみたいですけど、実際演奏してみてテリーさんのスコアの意図がようやく分かり始めた、自分が受け持ったパートの先にまだ開かれている音楽があると昨日言ってましたよ。

沙羅:それを聞いたら、テリーさん嬉しいと思います。


1000年後に語り継がれる神話、「WAKARIMASEN」

宇川:そしてついにライヴは明日となりました。さらには、サウンドモニュメントのお披露目も明後日に控え、21ヶ月かけてコラボレーションした私たちのこのプロジェクトもようやく着地し、一区切りを迎えるわけです。写真をお見せするとこのような巨大なモニュメントを私たちは今作っておりまして、これはテリーさんの手を立体化した作品です。この石像は中国で製作しましたが、重要なのは石。テリーさんはインドで音楽哲学を学ばれたので、僕はインドの石をセレクトしました。

テリー:それは知りませんでした。大変な驚きです。

宇川:インドの石で掘り出したサウンドモニュメントが佐渡島に鎮座する。僕たちは明後日9月20日に佐渡市長も来ていただいて除幕式をやる予定で進めています。そもそもなぜこのサウンドスケープというプロジェクトをやろうと思ったかというと、テリーさんと一緒に視察をする前段階として、新潟大学名誉教授の池田哲夫先生と自分が佐渡を視察した時に、すごく気になったことがあったんですね。テリーさんや沙羅さんにも今初めて伝えていると思うんですが、佐渡には動物の慰霊碑が沢山あるのですよ。佐渡は捕鯨をしないのですが、数百年前に巨大なクジラが1頭打ち上がったらしいんですよ。それ以降もクジラは打ち上がり、鯨の慰霊碑が佐渡には複数あることに僕は気づき始めました。先生に教えて頂いた限りで三つはあります。
面白いことにその慰霊碑にはそれぞれの集落の誰がどこのパーツを何グラム頂いたかが、明確に記載されている。つまりどういうことかというと、死んで海岸に打ち上げられたクジラを海からの恵みとしてありがたく受け取り、生命の糧として、地域の住民がクジラの身体を分かち合って生活が潤った。その詳細なデータが石に刻まれて現代にも伝承されているのです。僕はこのことを本当に途轍もないことだと思っていて、つまり言い換えるとレシートとか家計簿とか、その集落の会計予算の内訳みたいなものが石に刻まれて、数百年も記録として残ってるということと同義なんですよ(笑)。もの凄くアメイジングなストーリーなんですね。

テリー:大変面白い着眼点ですね。

宇川:そして、ここに映し出された時空は、果たして何なのか、僕はこのプロジェクトの間、ずっと考えていました。それは、何か?これは、人間の生々しい生活の記録であり、同時に感謝の念だと受け取ったのです。大自然からの恵に対しての、そして生命の糧としていただいた存在に対しての。つまり感謝の念である「いただきます」と「ごちそうさま」の挨拶が残ってるんですよ、数百年も。こういった形で、民話は残り続けていくのか、と感動しました。
そしてもう一つは、このプロジェクトに端を発したテリーさん自身の物語もこの集落に残っていくのだと考えています。つまり、テリーさんがコロナ禍中にも関わらず、佐渡に降りたってくださって、そこから島を体験し、しかし母国の感染率増加により、帰国できなくなり、日本に移住する決断をして下さった。その後日本で育まれた(はぐくまれた)関係性によって生まれた音が1000年、2000年と残っていく。このような、大長編の神話的スパンでこの作品が佐渡島にインストールされるのだ、ということを、噛み締めて、皆さん体感していただけましたら大変嬉しく思います。お披露目は明後日です。そして明日、遂に今日話してきたテリーさんのライブがあるのでぜひ体感してからみてもらいたいと思います。

テリー:ありがとうございます。壮大ですね。「WAKARIMASEN」というコンセプトについて少しだけ追記すると、大自然やスピリチュアルな存在自体を、こういうものだと一方的に決めつけるのでなく、「わかりません」という謙虚な気持ちを持った上で学び続けるものだということを伝えたいと思っています。自分自身、そんな気持ちを常に持ち続けたいという想いを込めて、作品のタイトルにしました。

宇川:素晴らしいです!「いただきます」「ごちそうさま」が感謝の念ならば、「わかりません」は学びに対しての謙虚な想いなのですね。それが1000 年残っていく、と。テリーさん、21ケ月の間、コラボレーション頂き、本当にありがとうございました。

沙羅:最近はいろんなことがどんどん流れていくことが当たり前の時代にこういうプロジェクトを宇川さんが作ってらっしゃることが本当に大きな意味があると思います。ありがとうございました。

宇川:こちらこそです。最後に、なぜ石かというと、純粋に1000年残したいからなのです。僕はメディアアートも大好物ですが(笑)、今回のプロジェクトは消費されゆくテクノロジーでは意味がないのです。石というメディアの純朴さ。沙羅さんが言ったように、現在はSNSを筆頭に、フロー型のメディアが多すぎますよね。ニュースはログとして残っていく、しかし、どんどん加速し流れていく。この怒涛の情報社会の中で、絶対的に純朴なメディアを僕は探していました。それが石だったのです。石に刻まれた芸術、そして民話に今回は着目したのです。 そしてこの民話はやはり物語なので、時と共に神話として成長して行くものだと考えています。今回の「LANDSCAPE MUZAK」でテリーさんが佐渡に降臨された物語が、100年後、1000年後、1万年後に、全く新しい意味を持って発動する可能性を秘めている。そのことに期待を込めて、この素晴らしいプロジェクトをこの度、佐渡に着地させたいと想います。吉田モリトくんを筆頭に、銀河芸術祭の皆さん、そして川上さんを筆頭に、佐渡市の皆さん、本当に長い間、ありがとうございました!

interview & text:Kei Sato


テリー・ライリーと宮本沙羅のライブパフォーマンス「WAKARIMASEN」は、有料のアーカイブ配信で楽しむことができます。

配信期間:2021年11月1日〜12月31日
料金:3,000円
配信コンテンツ:
・DOMMUNE Presents 「LANDSCAPE MUZAK」PROJECT SADO #1  
テリー・ライリーライブパフォーマンス「WAKARIMASEN」 with 鼓童、Salyu
・灰野敬二
・OLAibi
・角銅真実
・solo solo solo
・鬼太鼓パフォーマンス
・おやすみムードミューン(MOODMAN+YOSHIROTTEN+KANATAN) など

<チケット>
https://fractalcampondommune2.peatix.com
<公式グッズ付きチケット>
https://sado-art.shop-pro.jp/

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